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マー君

 3年前の7月10日

私を残し、マーくんは天国へ先立っていきました


 ふと思います。

主人を含め子供達も過去を振り返らずどんどん前へ進んでいる。。。。

何だか私一人、あの日から時計が止まったままのような気がします


 人生楽しまないと頑張らないとと普段は笑顔でいるのに

自分の中にそうでないもう一人の自分がいます


 
 今年は、みきちゃんとパパは仕事の為に日本、さとちゃんも別の場所

ともちゃんとゆみちゃんはいたいたけれど、ごく普通の一日として過ごしました


 一年のこの日だけは、自分のモチベーションをどうしてもあげる事が出来ません

弱いなあ、まだまだ悟れていないなあと弱い自分が情けなくなります


 頭では分かっていても、写真を見て会いたいと思ってしまいます

どんなにねがってもこの世ではもう叶う事のない願い。。。。

 一人になれた今年は、そっと涙を流しました


私がマー君を想い涙を流すと、他の子供達が悲しくなります

兄弟を失った悲しみと、自分達に価値があるのかと言う不安…


 今日のこの日だけは、頑張れそうにありません。

明日はいつも通りに戻るから…
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2009年5月11日、月曜日

 体重12.5kg 身長97cm 3歳7ヶ月

 朝からDr. Homaからの検査結果の報告待ち(先週金曜日に胃腸のレントゲン)
 7時起床、2回吐きTVをみながら寝てしまう。TVをみていても目に生気がない
待ちきれず10時ドクターに連絡、1時に再度診察希望し予約を取る
 11時、起き、味噌おにぎり一個、ゲータレード50cc、すぐ吐いてしまう
 一時間後『お腹が空いた』と泣くのでシリアルと豆乳をお茶碗に一杯食べる
とても美味しそうに食べた。少し元気になる
  1時、Dr.Homaへ…私の伝える将人の状態を深刻に捉えてくれ、急遽ERのあるBridgeport hospitalへ
そのまま直行する。CTスキャンと他の検査の為
パパは日本へ土曜から出張中、他4人の子供達はまだ学校、とにかく結果を待つ
  3時ERで5時半まで待たされ、少々機嫌が斜めだったけれどジュースとクラッカーでを食べながら
時間をつぶす、CTスキャンの時はとてもいい子に終了。
  6時から8時半、5階の小児病棟に移され病室でTVをみて過ごす
手の甲に点滴の針を刺されてから突然口数が少なくなる
  8時半、当直のドクターから『頭の後ろの当たりに何かがある』と告げられる
Tumorとはっきりと言わなかったが医学書を読みあさり『ああ、やぱりそうか』と…そして
『どうか、思い病気でありませんように』と祈る
 10時 Yale Hospitalのスペシャリストに託される
将人は大丈夫だろうか。。。。

Bridgeport Hospitalでは小児外科医がいない事とYale hospitalがアメリカで有数の病院と言う事もあり
将人は救急車で私は自分の車で…
 まーくんは殆ど話さなくなっている、でもきちんと状況を説明し、『マー君は救急車でママは車でバラバラに
行くけど必ず行くから頑張って待っていてね』と日本語で説明をする。ほんの少し涙を浮かべていたが気丈にも
『うん…』と。救急車の中では3名が待機して下さり、マー君は寝ていたとのこと
 工事中の渋滞に巻き込まれ1時間半かかる。病室についた時、ほっとしたのかうっすら涙を浮かべていた。
『頑張ろうね…』って声をかけたら、小さく『うん…』と答える


 


 
 

始めに…

 毎日、一人でいるとずっとマー君を想います
家に一人の時、運転中に、くまと散歩をしている時、一緒に行った場所や景色を見る時…
忘れてしまいそうになる事が悲しくて、でも思い出すと悲しくて…
 両親が他界した時も辛く苦しかったけれど、時が経つと楽しかった思い出や
私にとってはすばらしい両親だったと思え、心が温かになる事もあります

 でも、マー君はきっとそういう風に思う事はきっと出来ない

マー君が生を受け私の元に来てくれた証を何かの形に残しておきたいと
思いました。それは私の為なのだと思います

 愛する我が子を天国に送り出し、今私が他の子供達の為に生きて
そして笑っていられるように…

 まず、2年書き貯めた日記を綴っていきます
書こうとすると胸が苦しくなり息が出来なくなります
でも、自分が知るマー君の全てを残し、マー君と私達家族を見守ってくれた方と
マー君を感じてほしいです

 長々と書くかもしれません
気が向きましたら読んで下さい…

心の準備ができたら書き始めます。。。。。。
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